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声が聞こえる。聞き慣れ過ぎて、もう嫌になってしまった声。
後ろからだんだんと聞こえてくる。生い茂った木々を切り開いて、――のことをずっと追ってくる。
「――ッ!戻ってこい!!」
「今ならまだ『お父さん』は許してくれるから!」
「だから、帰ろう!――!」
 何度も聞こえてくる、――の名前を呼びかける人たちの声。
嘘だ、そんなの嘘だ。いつもは優しいのに嘘をついているのがよく分かる。本当は怖いんだ、――のことがものすごく怖いんだ。少しでも早く終わらせたいんだ。みんな、そう思ってる。どうやっても、どう考えても、結末は変わらない。
今戻ったら、戻ってしまったら、――は…

いつの間にか、――は、お空と海の間にいた。どこかで足を踏み外しちゃったみたい。フッと上を見ると、追ってきた人たちがやけに変な顔をしている。どうしてあんな顔をしているんだろ?うーんと考えている内にみんながどんどん小さくなって、やがて見えなくなってしまった。
あ、手を振るの忘れちゃった。バイバイするときはちゃんと手を降らないといけないのに。
海に吸い込まれていくなか、――は思ったんだ。あぁ、どうせなら真っ暗で悲しい夜じゃなくて、太陽さんが覗き始める優しい朝焼けを見たか




6月4日 天気:快晴
 浜辺に少女が打ち上げられていた。僕が気分転換に朝の散歩をしていたのが幸いだったらしく、彼女の命に別状はないと医者が言っていた。
 彼女の容姿は次の通り。髪は肩にかかる程度の長さで色は黒混じりの灰色。身長は約160cm前半くらいか。薄手のコートにシャツとズボンという粗末な服装。靴は見つかっていない。足裏からの出血があるので、靴も履かずに外を出歩いていたらしい。そこまでは人間と変わりない。ただ、僕は彼女の顔を見て初めて驚いた。身体の全ての構造が今まで見てきた民族たちと全く違うのだ。
 彼女の顔はフンティ族に近い鼻を持ち、両の頬にはキャルト族しか持たない3本線のタトゥーを持っていた。耳に至っては現在では姿を消したとされるウルガオ族のものだ。しかも頭頂部ではなく、人間と同じ位置に耳がある。亜人に関してでは全く前例のないことだ。大発見である。
 医者が言うには、数日ほどで目が覚めるということなのでしばらくは様子見をしなければならない。そこに関してはアーリーに任せることにしよう。もし彼女が目を覚ましたら色々聞いてみたい。
それにしても。長年、数多くの民族・種族を研究をしてきたが、ここまで特殊な姿をした存在を見たのは彼女が初めてだ。見たことがない。最初はどこかの少数亜人族かと疑っていたが…残念ながら、僕の研究成果をみてもどの亜人族にも属していないようだ。
彼女はどこから、そして何故この地に来たのだろうか。この情報を掴むことができたらのなら、僕の研究は更に躍進するだろう。そのためにも今は彼女が無事に目覚める日を待とう。




 ふよふよ。ほわんほわん。
 ほわほわ。ふわんふわん。
 そんな感覚がどのくらい続いたんだろう。
ふいに目を開けたら、――は真っ白な布団の中にいた。ふわふわでやわらかくて、とてもあったかい。こんなの初めてだ。うっとりしてしまいそう。
でも。どうして、――はここにいるんだっけ…?お空と海の間にいたのは、なんとなく覚えているんだけど。
 まだ少し痛みはあるけど、自分の力で起き上がれる。よく見ると、腕に包帯が巻かれていた。とっても綺麗、真っ白だ。
…誰かが、助けてくれた?
そんな考えが浮かんだとき、コンコンとドアを叩く音が聞こえた。思わず身構えたけど、そこからどうしたらいいのか分からなくてそのまま動けなくなってしまった。
ドアがゆっくり開く。そこから顔を覗かせたのは、男の人だった。からからに乾いた土の色をした髪はぺっちゃんこになっている。
「…おや!気がついたんだね!」
――の顔を見た男の人の顔が急に明るくなってそのまま部屋の中に入ってきた。その人は、お空の色をしたシャツと雲のように真っ白な白衣を着ていた。ズボンは枯れ草の色。
「本当に良かったよ。何せ、もう丸3日間寝てしまってる状態だったからね。気分とかはどうだい?気持ち悪くないかい?」
急に言葉をかけられたと同時に肩をガシっと掴まれた。いきなりのことだったのにうまく動けない。
「だ…だいじょう、ぶ」
とりあえず頷いておく。それしかできないともいうんだけど。どうやら悪い人ではないみたい。
「大丈夫みたいだね。それに言葉もちゃんと理解している。うん、伝達行為に困ることはないね」
安心したらしく、その人はニコニコと笑みを浮かべた。ズレた丸眼鏡をくいくいと指で直しながら笑っている。
「…助けてくれて、ありがと」
「どういたしまして」
 そこから急に静かになってしまった。この感じ、なんだかすごく嫌だ。胸の奥がズキズキして背中に汗が伝ってくるのが嫌でも分かる。なんだか――が、悪いことをしてしまった気分になってしまう。思わず、視線を落としてしまう。
「……僕からお話しても、大丈夫かい?」

『…あらダメよ――、ほら…相手と話す時は、こうやって…そうそう、ちゃんと目を合わせないといけないのよ?そうしないと――の本当の気持ちは届かないのよ…』

彼が静かに話しかけたのと同時に、頭の中で別の声が響いた。優しくて柔らかくて、何故かとても懐かしい。
 そうしていつの間にか、――は男の人の目をじぃっと見つめていた。丸眼鏡のレンズの向こう側に、澄み切った黒が見える。
「…いいのかい?」
もう一度聞かれたので、――はコクンと頷いた。さっきの声はいったい何だったんだろう…分からない。でも、すごく安心したような気がする。
「まずは僕のことを話さないといけないね。僕はハルト・モニカ。こんなナリだけど、民族学者をしている」
「…民族学者?」
「そう、民族学者。この世界にあるたくさんの民族について調べて研究して、そこから出てきた推測や結果をひとつにまとめて、学会や研究所で報告する。それが僕の仕事なんだ」
そう言いながら彼は近くにあった本棚から一冊の本を取り出して――に手渡してくれた。分厚い本だ。固くてしっかりとした茶色の表紙には細い白文字で『セントランシア学会 北方地方都市における少数民族についての考察 ハルト・モニカ』と素っ気なく書かれていた。
適当に開いてみると、何やら訳の分からない言葉ばかりが散らばっていたので、思わず勢いよく閉じ、そのまま何も言わずに返してしまった。渡してくれた本はずっしりとしていて重かった。
「ははは…一番最近書いた本を君に紹介したかっただけなんけど…さすがに早すぎたようだね。ごめんよ」
苦笑いを浮かべた彼は持ってきてくれた本をそっと本棚に戻した。何だか申し訳ない気持ちになってしまう。でも――には分からない言葉ばかりだったからしょうがない。
「さて、と」
くるりと振り向いて、彼はそっと――に言う。今度浮かべた彼の笑いは少しだけ真剣さが含まれていた。
「起きたばかりで申し訳ないんだけど、そろそろ君のことも聞きたいな?」
彼は、とても不思議だ。知り合ってからまだそんなに時間も経っていないのに、――に色々な笑いを見せてくれる。こっちが警戒する必要がないくらいに。この人になら、話してもいいかも知れない。そう思えた。
だから、彼と同じように自分のことを話そうと顔をあげた。

 でも。

「――は…」

あれ?あれれ?
どうしてだろう?――はただ、今から優しくしてくれた彼に自分のことを話したいのに、何を話せばいいのかが分からない。ううん、それ以前に…


――は、なんていう名前だっけ…?


「…どうした?」
彼が心配そうに声をかけてくれたけど、もう遅くて、――の身体は突然震え始めた。
あの時、後ろから――のことを呼んでひたすら追ってくる人たちの声がしたのは覚えてる。――が途中で足を滑らせて落ちたのは覚えてる。
だけど、だけど…!
「…わから、ない」
やっと出せた言葉と一緒にボロボロと涙が落ちてくる。――の中にある何かが押さえきれなくなって、余計に止まらなくなる。
「わか、ら、ないの…」
涙のせいで視界がぼやけてしまう。それでも彼がぎょっと驚いた顔をしていたのは確かだ。酷い顔だったんだと思う。


――はそこから何も言えなくなってしまった。記憶がないことよりも嫌な記憶しか残っていないことが悲しかった。どうして――が追われていたのか、どうして――はこんな身体になってしまっているのか、この時はまだ何も考えられなかった。この時の――は、この目たちから溢れる涙の大きさが小さくなるように泣き続けるだけで精一杯だったから。

この出会いが縁となり、――は彼の助手のひとりして生活することになった。――は他の人もそうしているように、彼のことを「ハルト先生」と呼ぶようになった。そして、――は彼から新しい名前を与えられた。
――の名前は、イオという。その名前は、イオの右上腕に刻まれた文字から付けられたら名前だった。


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